そーいえば、小さい人が出てきてくれた日は、3年前にもしかして妊娠してるのかも、、、て思い始めた頃だった、というのをふと思い出した。

小さい人が第1子なので、3年前の妊娠は残念ながら9週目入るか入らないかくらいでの繋留流産で、そもそも週数も正式に出てないし心拍も確認できないままの、存在したと言っていいのかわからないくらいの小さな命だったけども、その3年後に代わり、ではないけど無事に人として出てきてくれたことはほんと奇跡というかなんというか、こういう運命論みたいなのってあんまり好きじゃないけど、この初心の気持ちと出てきてくれた小さい人、出てこれなかった小さな存在への感謝は忘れないようにしないとなーと思った。その小さな存在がいてくれた3年前の期間も、小さい人のお世話であっという間に過ぎていきました。

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あまりテレビや新聞を見ないので(TwitterのTLで世俗を追っているので偏りがちw)、詳しくは知らないけど、子どものいじめとか、いじめがエスカレートしたものとか、物騒で酷い事件が起こってますけど、ほんと、それで自分の子が死んだりなんかしたら、なんて想像を絶するわな。たまにトイレ行った隙にとか、寝ててハッと目覚めたときとかに息が止まってたらどうしよう!?てドキッとすることはあるけど、またそれとも違うし。絶対にちゃんとしたコメントなんか出せないと思うんだけど(そもそも、コメントを出すのは誰の意向なんだろう?本人じゃないと思うんだけど、警察?マスコミがしつこいの?)。

そうはいっても、生と死は必ず1セットで、等しい価値のものだから、生きてるからにはいつ・どう死ぬかってのはわからないわけで(それを自分で決める、てのはナシにして)、悔いなく生きないと、とは思う。今死にそうとかじゃないし、今小さい人を残して死んで悔いなし!てことは絶対にないけど。どう生きたか、ていうのは、どこかに残るかな?どうかな?

しかし子どもの異変を子どもから相談してもらえる、その異変に気づける親子関係・夫婦関係の構築がきちんとできるのか、自信がないし不安だな。男子だしな。きびしく世知辛い時代に産み落として申し訳ないけども、その時代での明るい存在であってほしいし、明るい存在でいつづけるためにも自分たちがしっかり育てていかないといけないな、がんばらねば。